安原 玉樹 やすはら たまき
   

宇都しえの
こえこそせて
うつりさへ
をのつからなる
いろに見えつつ
写し絵(=浮世絵木版画)
声こそせで(=しないが)
写りさへ(=までも)
(おのづか)らなる
色に見えつつ
26.6p×30.1p

文化3(1806)年生〜明治9年3月14日(1876年4月8日)歿
 江戸時代後期・明治時代の女性。歌人。名はひさ又は久子、玉樹は歌名。備中玉島新町(現・倉敷市玉島)の東綿屋七代中原理左衛門正徳の第三女。総社の醤油と油を商う豪商角清水屋の安原儀之助正常の後妻となる。
 幼い時から学問が好きで、国書を読み和歌にすぐれ、千種有功に教えを受けた。和家政も良くし備中松山藩主板倉勝静から賞された。子供は早死にし、夫とも46歳で死別。心のよりどころとして国学・和歌を学んだ。容姿端麗で人柄も良く、吉備花壇の花と持てはやされた。
 備中松山(現・高梁市)で玉樹に和歌を学んだ者は、石川鶯谷のほかに井上覺睡、川島利和などがいる。

推奨サイト
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=7flgVhf06qsJ&p=%E5%AE%89%E5%8E%9F%E7%8E%89%E6%A8%B9&u=gos.but.jp%2Fyasuhara.htm
https://wikimatome.org/wiki/%E5%AE%89%E5%8E%9F%E7%8E%89%E6%A8%B9
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=IqXF5aFYnzwJ&p=%E5%AE%89%E5%8E%9F%E7%8E%89%E6%A8%B9&u=takahashi.jyoukamachi.com%2Fname-i.html


参考文献一覧      HOME